「落合陽一 meets DMM.make AKIBA/初回対談ゲスト:小笠原治」に参加した

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ささけんの上の Facebook ポストで知ったイベントに行ってきた。

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ホストとなる落合陽一さんは、イベントで登壇して喋っていることを観客席から何度か見ていて、超アグレッシブで面白い人だなぁと感じていた。

ささけんから『レポートよろ」とコメントついてたので、途中まで頑張ってログをメモってたんだけど、落合さんと小笠原さんという頭の回転の早いお二人の掛け合いが始まったあたりから、自分も脳みそフル回転で同じテーマについて考えながら話を聞いたほうがより楽しめるタイプのイベントだなということに気がついて、ログ取りをやめて話に集中するようにした。

落合さんは、筑波大の研究室ピクシーダストという自分の会社で

Digital Nature (デジタルネイチャー)

という単語をテーマに研究活動を続けていて、これは

Digital | Nature

という2つの単語の間の縦棒、壁をいかにしてぶっ壊すかという意味だとおっしゃっていた。世の中森羅万象の物事がすべてコンピュータで感知、制御できるようになった時に、自然と情報世界が同列に扱われる上位概念として Digital Nature を位置づけ、その視点でこれまでの様々なコトモノが再構築されていく。確かに、デジタルと自然って対立軸に置かれる場合が多いので、それを同一に見る視点で物事を考え、そこで何が必要かを考えるという発想は目ウロコだった。

帰りの電車の中でもやもや考えながら気がついたテーマは、さて Digital Nature の考え方で諸々再構築されていった場合「人間はそれに合わせてどのように変わっていくのか?」ということだった。イベント中に落合さんも「人間こそインターネットだ」ということを言っていたが、そこで話された人間モデルはあくまでも現在の人間活動だったように感じる。まだコンピュータの手の届かない場所は世界中のいたるところにあって Digital Nature と呼べる環境はまだ限定的だと思うけど、それでも都心で暮らしているとそれに近い状況にはもうすでになっているはず。

Digital Nature な場の中で生活していくことで、人の思考や行動はどのように変わっていくのだろう?

ぱっと思いつくのは、能動的受動的にかかわらず情報を生み出すことそのものがより価値になっていくだろうということ。生み出されるより多くの情報が、その人の個の存在の独自性を高めていくだろう。もちろんプラスにもマイナスにも作用するし、バカッター炎上案件のようにセンセーショナルな愚行があっという間に世界を駆け巡る例を、私達はいくつもすでに目撃している。

何にしてもエキサイティングで面白いイベントだった。2回目もぜひ参加したいと思う。

どうせなので途中まで取ったログも貼り付けておく。


「落合陽一 meets DMM.make AKIBA/初回対談ゲスト:小笠原治」参加メモ