Computer History Museumを日本にも

http://www.computerhistory.org

昨日の「CORE MEMORY」のイベントから何とはなくずっと考えていました。



「どうして日本ではComputer History Museum(コンピュータ歴史博物館)ができないのだろうか?」



「CORE MEMORY」のイベント会場でも「日本のコンピュータを題材にした写真を撮影するつもりはあるか?」とMarkさんに質問していた人もいましたし。その答えは「アートとして美しければ日本のものでも何でも撮るよ、送ってくれればね」というものでしたが。


ご存知の通り日本のコンピュータ業界も、数多くの製品が生まれては消えていった歴史を持っています。工業製品としての宿命ですが、なかなかそれを芸術品として収集展示する流れは起きません。一部の企業や大学が、自社の歴史的に重要なもの保存・展示している例はありますが、それを文化として体系的に展示するComputer History Museumのような存在は、今の日本にはありません。


2004年に国立科学博物館で「テレビゲームとデジタル科学展」という展覧会が開催されました。

これは、テレビゲームを、情報処理技術の発展過程で科学者や技術者の遊び心から生まれた“楽しさ”の産物と位置付け、コンピューターとテレビゲームの歴史を中心として、デジタル科学技術の現在までの流れを追うとともに、未来への可能性を探るという試み。会場には世界初のプログラム内蔵式電子計算機『ENIAC』の主要パーツやパーソナルコンピューター『Apple I(アップルI)』などから最新のテレビゲームまで、国内外から貴重な“実物”が集められ多数展示されているのが特徴。テレビゲームが子供や社会に与える影響についての最新の研究なども紹介されている。

ASCII.jp:国立科学博物館で“テレビゲームとデジタル科学展”が開幕

私も友人と連れ立って見に行きました。初期のコンピュータから始まって、黎明期のパーソナルコンピュータ、その後のゲーム機としてのコンピュータ製品が数多く展示されていて、懐かしくも美しいその容姿にただ感嘆したものです。その展示されている製品の3〜4割くらいがアスキーの遠藤諭さんが提供されているものだったのには笑ってしまいました。しかしまた、ビンテージもののコンピュータのコレクションは一部の好事家がやっているだけで、組織として保存しているところはどこにもないのだなということをはっきりと理解しました。


5年くらい前なら、秋葉原のジャンク屋・中古屋を回れば、かなり古いコンピュータまで実際に見ることができましたが、ここ数年で潰れたジャンク屋も多く、その状況も急速に失われてしまった気がします。もしこのまま何もせずにいたら、過去の製品は時代とともに忘却のかなたに忘れ去られ、そして二度と見ることはできなくなってしまうのではないか、そんな思いもあります。好事家たちのコレクションも、時の流れとともに徐々に失われていき、そして一度失われたものが再び日の目を見ることはないのです。


本日jus(日本UNIXユーザ会)の幹事会の後の宴会で、古くからのUNIXハッカーで現在は武蔵野美術大学の准教授をやっておられるjus事務局長の井上尚司さんにそんな話をしたら、井上さんが真剣に面白がってくれまして、どこに話を持っていけば現実として動き出しそうか、運用コストがいくらくらい必要でどうやって捻出するかなど、面白い議論になりました。


自分としては博物館の実現に向けて具体的にどう動けばいいかなどのプランは現時点ではまったくありませんが、せめてこうやってブログに文章を書くことで、同じことを思っている人達へのきっかけになればいいかと思います。時間が経てば経つほど、ビンテージコンピュータを収集する難易度は高くなっていきます。その意味では、もし実現を本気で考えるならば時間的な余裕はあまりないのかもしれません。